日本周遊紀行 7/23 八峰町まで

雑木林からチチチッと心地よい鳥の囀りが聞こえる。
秋田県に入ってからから「潟」がつく地名がいくつかある。「象潟市」「潟上市」そして「大潟村」。
特に大潟村は地図で見ると異様に平坦で周りをくり抜かれたような特徴的な形をしている。
道の駅の横に大潟村の博物館が併設されているので開館時間まで少し散策していよう。

スーパーや役所、観光施設は村の北西部にかたまっていて、それ以外は見渡す限り田圃、田圃、田圃。
大潟村はグラベル天国だ!!

「経緯度交会点標示塔」
北緯40度 東経140度が交わるモニュメントがあります。
一の位が0同士の交差点は日本でここだけだそうです。
ここに来るまでも2.5km程ダート。朝からたまらんね、楽しいです。

「大潟富士」
モニュメントから一本南の道に回ると日本一低い山があります。
高さは3.776m、富士山の1/1000スケールの人口山です。
ユニークなのが山頂が海抜0mに合わせられています。
さあ記念にいっちょ登山するかぁ。

あゝ26段の登山道を抜けた先には山頂からの素晴らしき景色だ。
見よ、麓に置いた自転車がなんと大きく見えることか。

なんてやってたらもう良い時間なので博物館に行きますか。

「大潟村干拓博物館」
大潟村は埋め立てではなく「干拓」によって土地となりました。
大昔、海水位が高かった時代は今の男鹿半島は独立した島でしたが、徐々に水位が下がり2000年前くらいには今の地形になりました。その頃から干拓されるまで大潟村は「八郎潟」という琵琶湖に次ぐ日本で二番目に大きな湖だったのです。
今はそのほとんどが排水され土地になり周囲52kmの農地となっています(山手線がすっぽり入るくらい)。

1954年〜1977年の約20年という歳月と事業費852億円を投じた大工事には「日本農業のモデルとなるような生産および所得水準の高い農業経営を確立し、豊かで住みよい近代的な農村社会をつくる」という目的が掲げられていました。
昭和41年〜49年の間に5回の入植者募集が行われ、全国から新天地を求めて応募が集まりました。
国がこのような全国的な入植者の募集を行ったのは大潟村が初だそうです。

村が合併されずここまで残っているのには理由があるはずです。
検索してみると「大潟村 金持ち」なんてダイレクトなサジェストも…
大潟村に入植できた人には1世帯あたり15ヘクタールという広大な農地が配分され、それが高収入の一因になっているそうですね。ちょっと下世話な話でしたが、世帯収入の高さから人口減少の一途をたどる秋田県の中で秋田市に次ぐ減少率の低さを誇っています。
秋田市も大潟村も減少はしていますが、地方都市と並ぶ減少率の低さは他の市区町村と比べても異例です。
さらには若年女性の人口に至っては増加傾向にあるというのだから驚きです。

大潟村、奥が深い…

そろそろ大潟村を抜け、北上します。
国道に向かう途中、長いダートが見えたので思わずルートを変えました。
時折、ドドドッと砂煙を上げながら軽トラが横を通り抜けていく。

能代市は秋田市以来の都会だ。
さあスーパー行って、お風呂もあるみたいだから入りに行こう。
梅雨の間にはなかった肌が灼けるような暑さが夏が来たって感じさせてくれる。

秋田県は新潟・北海道に次ぐお米の産地。
あきたこまち2kgをチャージしました。

300円のお風呂見つけた!! 東北は結構入浴料安いところが多いなあ。ありがたい。


走行距離:57km
朝:カップ麺、鶏肉
昼:パン
夜:スーパーの弁当

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つじの

自転車で日本一周中!
一周というより周遊といった感じで気になる場所に向かってペダルを回しています。
折角の旅なので備忘録としてブログに書き残しています。
少し旅情のお裾分けができたら嬉しいです。

Bike: Surly Disc Trucker
Camera: Fujifilm X-H1

2023-07-24|タグ:
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