末崎半島、碁石海岸へ。

Nさんと一緒にコンビニで朝ごはんを食べてから別れた。
バイカーさんは荷物が多く持てるからテントのサイズが2回りも大きいし分厚い銀マットもガッシリしたコットも持っていてとても羨ましい…
初めて初対面の人と一緒のテントで寝たけど、あれだけスペースがあれば全然窮屈にならないから危ない距離感にならずに寝れました笑
バイクツーリングのパッキングを考えるのもすごく面白そうだな。
自転車より荷物の重さと大きさを考えなくていいなと思っていたけど、バイクは荷降ろしと積み直しに時間が取られるらしい。確かに自転車より荷物が分散できないから毎回全部降ろして全部積み直しての繰り返しだ。
そうなると何でも好きなものをチョイスできる訳ではなさそうだ。
免許すら持ってないけどバイクツーリング憧れるなぁ。

今日のメインディッシュ「碁石海岸」の周りはジオパークになっていてビジターセンターもあった。
センターのお兄さんと色々話した後、遊歩道を散策した。
碁石海岸は大船渡市の末崎半島(まっさき)の南端約6kmの海岸線で、これぞリアス式といった断崖もあれば静かで小さな浜もある風光明媚な場所。ジオパークとしてキチンと整備されていて綺麗なトレイルを歩いて自然を楽しめる最高のスポットでした。
インフォメーションセンターやレストハウス、キャンプ場もあって観光的にも安心、観光化が進んだ場所によくある騒がしくなる過ぎてしまう感じもなく本当にバランスの良い場所でした。時間があれば一日中のんびりしていたかった。

「雷岩(かみなりいわ)と乱曝谷(らんぼうや)」
展望台から見えるこの二つは碁石海岸を代表する景勝地で、雷岩は「残したい日本の音風景百選」に選ばれています。洞穴に波が当たった時に空気が圧縮されてドォーォン…ドォーォン…と遠雷のような音を聞くことができる。
これがとても心地よくて、海を眺めながら聞いているとどこか淋しい気持ちになるんです。
写真に映っている部分は大きな谷になっていて元々一つの岩盤だったものが脆い部分だけ侵食されて乱曝谷になり硬い部分は雷岩として残りました。

朝のんびりしていたからもう11時になっていた。
朝食はバナナとヨーグルトしか食べていなかったのでもうお腹が空いたなぁと思っていた時に見つけた「お食事処 岬」。
碁石海岸の淵に立っている昔ながらの食堂だった。
まだお客さんが入っていなかったけど、そろりと入口を開けたらすぐに案内してもらえた。
気さくな地元のおばちゃんが数人で切り盛りされていている食堂、入った瞬間これは美味しそうだぞぉと思える雰囲気だ。
三陸海岸を走りながら何回も「磯ラーメン」を見かけていて気になっていたからやっとここで食べることができた!!
磯ラーメンは塩ラーメンではなく磯ラーメンだった。
牡蠣、ほっき貝、ホタテ、ワカメと海の幸がたくさん詰まったラーメン。ああこれは美味しいなぁと感激してスープまで全部飲み切ってしまった。
食べ終わったからはボーッと海を眺めながら、後から入ってきた地元のおばさま二人組みの会話を何となく聞いたりしてお腹を落ち着けてから食堂を出た。

「碁石浜」
末崎半島の南端に小さな浜がある。
砂浜ではなくて玉砂利が敷き詰められている静かな浜です。
2~3組くらいが出たり入ったりするくらいの賑わい、夏はもっと多いのかな。
そういえば今まで夏以外に海に来ることがなかったけど、三陸海岸をずっと走ってきてどこも良い思い出だな。

玉石が引き波に合わせてシャラシャラと音を立てていた。
次の町、陸前高田を目指して。

末崎半島を出てまた国道に戻っていく。
バス専用の道路・踏切があった。初めて見た!!

国道に戻ってきた。
看板が落ちている?捨てられている?でもどこの看板も取れていない、なぜ。
陸前高田市はまだ復興の最中。

また国道45号を南下し始めて陸前高田市に入った。
市街に入った途端、この建物が目に付いた。
後で調べて見たらこれは「下宿定住促進住宅」という震災遺構のようです。
無残にも破壊された建物、最上階だけブラインダーが壊れてないのを見るとあそこは津波が当たらなかったのかな。
陸前高田市は震災遺構が特に残っている町。

ここは「旧道の駅 高田松原 タピック45」
今はこの建物のすぐ横に新しい道の駅が建っています。

新しい道の駅には「東日本大震災津波伝承館 いわてTSUNAMIメモリアル」が併設されていた。
震災によって陸前高田市は壊滅的な被害を受けました。
当時約2万4千人の人口に対し1700人以上が亡くなり、半数の世帯が津波の被害を受け全壊しました。
今では震災遺構以外の建物は撤去されているように見えましたが、新しく建てられているのはこの道の駅くらいで沿岸部のほとんどは更地のままです。

「海を望む場」
道の駅から数分歩くと海に着きます。
今がガッシリとした堤防が続いていて、なくなった高田松原を復興するために植林も行われています。

「震災遺構 陸前高田ユースホステル」
元々は松原の公園内にあったユースで2011年1月から休業していたため、震災当時は無人だった。
横に長い建物だったので津波で完全に水没し、砂地だった地盤は抉られて建物の半分は折れ曲がるような形で壊れました。

「奇跡の一本松」
テレビでこの一本松について放送されていたのをなんとなく憶えていました。
ユースホステルのすぐ側にあって、そのおかげでこの松だけ流されずに留まることができました。
津波には耐えられましたが塩害のため2012年に立ち枯れてしまい、今はレプリカが植わっています。

近くの震災遺構を見学した後は道の駅で買い物をした。
陸前高田産のリンゴ「ゴールデンメロン」と岩手の郷土菓子「がんづき」を買いました。
リンゴだけどメロンの香りがする甘さが売りのリンゴ。
雁(がん)の肉に似ていることから名付けられた「がんづき」もっちりとした蒸しパンですね。

もう暗くなるのはわかっていたけど気仙沼市へ向かった。
それは宮城県に入りたかったから!!
いや〜岩手県大きかったなぁ
元々盛岡市の方に行く予定だったけど三陸海岸ルートにしてよかったなぁ。
「こっちの方が今後来ることなさそうかな」なんて思っていたけど、またこの海を見に来たいと思っている自分がいる。
寒かったけど、楽しい東北太平洋編になりました!!
いやまだ宮城も福島も残ってるか…
走行距離:39km
朝:バナナ、ヨーグルト
昼:大漁ラーメン、がんづき
夜:イワシ寿司、ナムル
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