
いわき市の温泉街を出て国道20号を南下した。
今朝は程よく暖かく、東北最終日らしい気温だった。

「勿来海水浴場(なこそ)」
国道6号にスイッチして走っていると砂浜には珍しい赤い鳥居が見えたので、下りて散策してみることにした。
岩は数mほどある巨岩で鳥居については特に説明がありませんでした。
どの神社が管理しているかも不明で、岩と一緒に随分昔からあるらしい。
「なこそ」は「な来そ」つまり来るなという意味で、蝦夷の人に対しこれ以上南下するな。という警告の意味があったという説があるそうです(wiki参照)

砂浜は固く締まっていて用水路から流れる水が川を作っていた。
実際の川幅よりも細かった。雨の日に削られた部分かな。
固く締まった砂は水流の模様を作っていた。
30分くらい海辺を散歩してから海水浴場を後にしました。この日は僕以外に2~3人くらいしか見ませんでしたが福島県内でも大きめの海水浴場なので夏場は盛況するみたいです。

勿来地区を過ぎると茨城県へ!ついに関東へ戻ってきたぞ!!
日本一周すると本州の地方は二回出入りしますが、関東は出発点なので3月以来久々の帰還となりました。
このまま国道で東京を目指すと正直3日足らずで終えてしまえますが、それでは勿体無いので遠回りをしながら関東を楽しみましょう。
まずは魅力度ランキングワーストの茨城県を堪能していく!!

五浦美術館に行こうと国道から外れると路地裏に迷い込んでしまった。
なんとも味のある住宅街を走っていると住民のおばちゃんを見かけたので美術館への道を聞きます。
まっすぐ行って左、まっすぐ行って左、まっすぐ行って左、だそうです。

「茨城県天心記念五浦美術館」
岡倉天心さんの記念館。
この方は茨城県出身という訳ではなく弟子の画家たちを集め、衣食住を共にしながら作品の製作に励むべくここ五浦に辿り着き拠点としました。
東京大学を卒業後、文部省に就職し美術行政に携わっていた天才です。
欧米諸国を飛び回り各国の美術情勢を学びながら日本の美術観を伝える事にも邁進していました。
ただいつの世も革新的な行動をする人は世間からは冷たい目が向けられるようで、今までの日本画に新しい価値観を取り入れようとした天心らは反発・批難され次第に国内での活躍は少なくなっていきました。
そのため天心は「The Book of Tea(茶の本)」を出版し、日本の文化を海外に知ってもらうなど国外に目を向けた活動を積極的に行うようになりました。
その頃から拠点を五浦に移し、新しい日本画の再起を図り、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山と共に苦しい生活を送りながら近代日本美術史に残る名作を作っていきました。

五浦岬公園から五浦海岸が見える。
左下の朱色の建物が「六角堂」で天心らが広い太平洋を感じながら思想に耽った場所です。
写真を撮った場所は五浦岬公園からでこの景色をスケッチしにおば様たちが訪れていました。

国道を走ったり、時々県道にそれてみたりしながら高萩市まで走った。
途中赤茶けた公園を見つけたのでベンチに寝転がり、30分くらい昼寝した。
走行距離:48km
朝:焼うどん
昼:ヨークベニマルの弁当
夜:イオンの弁当
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